キビダンゴ つないでつないで

中型動物飼育の必要性

園内飼育環境を考える際、通常は動物は何を飼えばよいか」とか、「どのような飼い方がよいか」などを小型の動物という範囲で考えてしまうことが多いといえます。でも、子どもたちが小型飼育動物を飼う際のことを考えれば、子どもにとって、「同じ園での育ちあい仲間」とか「生活協同体(ともに育っている、ともに生活している)とする」視点の育成には繋がる余地が少なく、動物たちを「ペット」扱いしてしまう危険性がおおくなるといえます。

 

私の過ごした「幼稚園」は、近所の人たちから親愛を込めて、「動物園」とか「植物園」と呼ばれていました。そんな「動物園」・「植物園」で「遊んだ」子どもたちは、そうした環境の中で何を「学んだ」のでしょうか?そこには、子どもたちが「さながらに」生きる生活があるのです。その一端を見ていきたいと思います。

 

★「動物園」と呼ばれた「幼稚園」

①小鳥の世話→鳥小屋は保育室ほどのスペースで、鳥(烏骨鶏、鶏、アヒル、鴨、セキセイインコ、ヒイインコ、ナナクサインコ、そしてスズメ(子どもが鳥小屋を開けるたびに飛び込んだ))がいます。デッキブラシで水槽を掃除しての水替え、糞の世話、エサやりを「やりたい子ども」が、当番活動ではなく「自分の意志」で行います。他の遊びや活動の行動選択と同様に「子ども自身」が「自発的(主体的)」に行うわけです。鳥小屋から飛び立ったインコ類は、その時刻になると野鳥として鳥小屋に覆い被さっている楠に飛来し、子どもたちからエサをもらう、という妙で一見変わった現象が生じます。いわば、「野鳥のエサやり」です。インコたちも郷里を忘れずに戻ってくるのです。子どもたちも同じで、我が園を巣立った鳥たちに対しても「思いやり」を呼び起こします。その関係性には、とても深くて幅広いものがあります。

②ヤギやブタ→サークル内で飼育している「ヤギ」や「ブタ」の住居位置はどんどん変わります。とくに春先には、通用門の子どもたちが園へ入ってくる動線上に「子どもを邪魔するかのように」配置されます。これには、大きな理由があります。子どもたちは、どうしても園へ入ってくる途中にそうした動物たちに目をやらねばならない状況が創り出されます。通用門の前で毎年繰り広げられる光景(主人公の新入園児が、「帰る~」「いやや~」など心理的なストレスが最高潮に達した状況)があります。新入園児がふと見ると年長児たちが平然と動物たちにエサをやっています。それに見とれて、自分の状況を放念する新入園児になってしまいます。そうした中で突然、年長児が「あんたもあげる?」とキャベツを手渡されると、こわごわヤギの口へエサを持っていきますが、ヤギが食べようとする瞬間に手放してしまい、落ちたキャベツをヤギはムシャクシャと食べてしまいます。その時には、新入園児は我を忘れてしまっています(いわば保育をする「保育者」ならぬ、保育をする「保育ヤギ」がストレス状況にある新入園児の保育を行い、無事にストレス状況を乗り越えさせてしまうのです。ここにおいて「保育ヤギ」が登場するのです)。この時にはもう、新入園児は通用門の中に入り、つい先ほどまで泣き叫んでいた「自分を忘れて」心理的ストレス状況を乗り越えてしまいます。これらは、子ども自身の「自発的(主体的)な」行動の結果として現れてくるのです。ヤギやブタ等の動物に接する際に、子どもたちは、知識をフル動員し、智恵を絞り出し、工夫に努力し、そしてやっと心が揺り動かされる体験をしていくのです。動物に対する「思いやりの心」は、こういうところからスタートします。なぜなら、新入園児たちは、この困難な状況で救ってくれたヤギに心を許し、安心してヤギとの生活が始まるからです。子どもたちのこうした体験抜きで、単純な「(保育者などからやらされる(子どもの自発的(主体的)でない)ような)当番活動」を機械的にやらせるような保育では、ヤギなどの動物たちとの共感的理解をするチャンスに恵まれることはほとんどないでしょう。

③ヤギの首やブタの毛で→ヤギの飼育は、子ども「自発的(自主的)な」活動の中で毎日続けられます。そんなある日、ヤギの首に抱きついた子どもは突然、「ヤギさん、暖かいわ~」と叫びます。まさに命のぬくもりを体感した瞬間です。中型動物の良さは、子どもが全力投球で接する必要があるのと、場合によっては友だちと力を合わせて何本ものリールをつけて公園まで散歩に連れて行く必要がある点にあります。小さな動物では、「一緒に生活している」という体験のできるチャンスに乏しく、「ペットかわいがり」で終わってしまう危険性すらあるのです。そうなると、「命の尊厳」や「思いやり」に対する、子どもの心の動きは期待しにくいものになります。

こうしたことは、ブタとの生活の中でも違った体験として子どもたちは遭遇します。「ブタは臭くて汚い」などというおとなの偏見の中には、子どもはいません。ブタにホースで水をかけてあげると、ブタはかゆい所にホースの水がかかるように体の方向を変えます。ブタは、このようにして自分の心や気持ちを子どもたちに伝えているのです。それに気付いた子どもは、ブタに「ここがかゆいんだろ!」とデッキブラシの位置を変えてこすってやります。ブタは神妙にじっと気持ちよさそうにします。ブタは「臭くなく、綺麗好き」に変わる瞬間です。「ブタは臭くて汚い」という言葉を知る前に、子どもたちは「ブタは気持ちを持っていて臭くなく、綺麗好き」を体感してしまうのです。

「運動場」と「園庭」の違いから環境を考える

小学校以上の施設では、「運動場」というものがあります。それに反して、幼稚園や保育所では、「園庭」といいます。その理由から、両者の違いを整理し、「教育環境」の構成の違いに言及しましょう。

小学校以上で「運動場」と言うからには、そこでは、「運動」のしやすい環境である必要性があります。ずばり述べますと、高低差や池などの環境よりも、「広々としていて邪魔になるものがない環境」ということができます。つまり、起伏よりもトンボなどでならされた水平な地面が必要ということになります。まるで、毎日「運動会」ができる空間ともいえるものです。

これとは違って、幼稚園や保育所でいう「園庭」には、高低差があり起伏やくぼみのある変化に富んだ「環境」が重視されています。これは、そこにいる子どもの発達特性や発達過程に大きなつながりがあります。

子どもたちが山に登り、そこから、あらためて日常見ている世界を見ることによって、その子どもにとって新たな発見をし、気づくことのできる「環境構成」であるということができます。また、「山の上から水を流す」などによる「遊び」を行う中で、「水は高いところから、低いところへと流れる」というおとなにとってはあたりまえの常識を「学ぶ」ことになります。そのような時には、短く切った樋などがたくさんあれば、子どもたちは工夫し、協力しあって「遊び」の中でさまざまな人生に必要なことを「学んで」いきます。

さらに「園庭」の「くぼみ」に生き物が生息していると、そうしたものへ、子どもたちは、気持ちを向けていくチャンスに恵まれます。こうしたように、幼稚園や保育所にいる子どもたちのことを考えると、「広々していて平坦な運動場」よりも「さまざまに起伏や変化や生き物たちの生活のある園庭(場合によっては草が自然に生えているような園庭)」がより重要で必要なものになるといえましょう。

子どもの動線から考える保育環境

子どもたちの成長・発達にとって「遊び」が非常に大切なものと多くの研究者や実践者たちは考えています。でも、子どもたちの「遊び」環境を考える際に、子どもそれぞれの「遊び」が互いに干渉しあって成り立っているということを明確にしている人は非常に少ないと言えます。ただ漠然と「遊びが大切である」というばかりです。その「仕組み」や「なぜ、遊びが子どもたちの成長・発達に欠かせないばかりか、重要なものである」ことを明確にしきっていないといえましょう。

今回は、子どもたちの動きの「動線」から「遊び」に不可欠な「保育環境」を分析したいと思います。

幼児教育(保育)にあたる保育者として、最低限押さえておかなければならない事項で、「幼児教育環境(保育環境)」を考える時には欠かすことのできない視点です。

たとえば、公道上を自動車が走る際に、交差点にどのような「信号」を設置し、「交通整理」を行い、事故を未然に防ぎ、よりスムーズに各自動車が運行できるようにするか、ということに近いものがあります。

それでは、より具体的に私が幼稚園の園長をしていた際の事例で考えてみたいと思います。その当時は、廊下が開放廊下になっていたため、子どもたちは「どこからでも出入りが自由に行える状況にありました。いわば「動線」は自由に描けますが、衝突や事故、あるいは「遊び」のスムーズな展開にはあまり好ましくない状況」だったわけです。「遊びの保育」を行うためには、「動線」の「交通整理」をする必要があったわけです。それでその一部を自由に出入り(表向きは、子ども保育室から園庭への出入りは「自由」)できないようにするため、重い重量のプランターを置いて、花や四つ葉のクローバーを植えるようにしました。もちろん、プランターですから、子どもたちと一緒に、季節の花々の栽培も始めました。これは、子どもの動線上で子ども同士は衝突することを防ぐ目的と動線の自由な利用の中で、子どもたちの動線を整理する意味合いがあったといえるでしょう。もちろん、花々の栽培による教育効果も考えざるを得ない状況にもなったわけです。

これにより、子どもは、自分の行きたい方向にあたかも自由に行動していますが、子ども同士で衝突したり、動線の邪魔をしあったりすることはないようになりました。そればかりか、自分(自分たち)以外の「遊び」をしている他の子ども(子どもたち)のことを、子ども各児が考え始めるきっかけにもなりました。そして、互いの「遊び」を尊重しあって「遊べる」ようになっていきました。子どもたちに「思いやり」の気持ちも生まれていったということができます。

このように子ども遊びの「動線」から「幼児教育(保育)環境」をとらえて、「プランター」を置くといった単純な保育作業だけで、子どもたちが「遊び」をとおしてさまざまな力(生きる力)を伸ばしていったわけです。「動線」で「幼児教育(保育)環境」を考えるという、ほんのわずかな観点だけで、幼児教育(保育)は、ずいぶん変わっていくのです。

始業のベル代わりの音楽放送

園児が登園してから、お部屋に入って保育者や同級生たちと「せんせい、おはよう♪ 皆さん、おはよう♪」という歌によって一斉保育が始まるまでの時間を、私が園長をするまでは、「自由遊び時間」と、呼んでいた(本来、「あいさつ」とは、本人たちが顔を合わせた時に自然な気持ちから行うものであり、決して、集団の場で、まるで宇田を歌いながらおこなうようなものではない。)。でも、それから、まず手を入れた。子どもたちの幼児教育のおいて、「自由遊び」とは本道でなければならないものだと気づいた。それで、子どもたちが、通用門をくぐった瞬間からが、「自由遊び」の時間であると改めた。そのような場所で、「おはようございます。」といった言葉が(「あいさつ」)が交わされるのである。その瞬間には、保育者の心、子どもの心、子どもたちの心が交わされる、本当に心の通った大切な一日の幼児教育が始まる。つまり、昼のお弁当の時間までが、すべて「自由遊び」の時間になった。これは、画期的変容であった。教育学的にみれば、「子どもの自己意志により、選択された活動が時油にいくらでも長時間、行うことができるようになった」わけである。この自己選択活動により、自己満足できるまで、自己の活動を「とことん」「やり遂げる」ことも可能になる。曾根靖雅先生のいう「学習のメトーデ即評価の観点」の指導がようやくできることになる。曾根靖雅先生が「造形活動につながる、という意味で素材遊びの重要性」を述べられていたが、その「素材遊び」をも、子どもたちが自由に行える環境づくりが大切になる。すなわち「素材遊び」を含む「自由遊び」の中で「自己達成」ができ、「自己達成意欲を充足」させることが可能になるわけである。これにより、子どもたちの、「遊び=自己成長」意欲は、ますます増長し、人間として必要な「生きる力」は、ますます成長していくといえる。

3歳になったら幼稚園

  1. 法令で見てみると、「幼稚園教育要領」(幼稚園教育の根幹を国が定めているもの)の根拠法である「学校教育法第22条」に「幼稚園」に関する規定が定められており、ここに「3歳から小学校の修学をむかえるまでの「幼児」を預かる『学校』」という規定があります。さらにいうならば、「学校教育法」は、「教育基本法」(昭和22年)に論拠があるのです。
  2. 「乳児」(法令でいう「乳児」とは「児童福祉法第4条」に基づくと、「満1歳に満たない者」と定められています。これは、この法律には「保育所」の規定(第39条)があり、児童福祉を定めた唯一の法律となっています。「児童福祉法」は、さらに中核となる「社会福祉法」(昭和22年)にその論拠があります。)さらに、「児童福祉法」では、18歳に満たないそれ以上のものを「児童」(第4条)と規定しています。「児童福祉法」による年齢区分ですと、「児童(18歳未満のもの)」がその対象とされますが、通常「保育所」には、「小学校に就学するまでのもので、親の就労等により保育に欠ける者」が保育所という『施設』の対象児(「乳児」または「幼児」)になっています。

ここまでをまとめると、「幼稚園」とは、『学校』であり、「保育所」とは、『児童福祉施設』ということになります。

「保育所」は『乳児』『幼児』を保育する「施設」ですが、『乳児』は産休(生後8週間)明け以降で満1歳になるまでの子ども、『幼児』は満1歳以上小学校入学(満6歳以後の最初の4月という学校教育法によるので、6歳数か月)までという年齢幅があります。

「幼稚園」は満3歳より小学校に就学するまでの『幼児』を「教育」する「学校」です。したがって、「全日本私立幼稚園連合会」はキャッチフレーズとして、「幼稚園は子どもたちが初めて出会う『学校』です」という言葉を使っているのです。

 

 

  1. 子どもの成長で「乳児」「幼児」考えると次のようになります。

子どもの成長は、「遊び」を考えると理解しやすいです。「遊び」で考えると、「乳児」とは多くの場合、「実物」を使って遊ぶ子どものことです。たとえば、「唇」を使って、「バブバブ、ブルブル、ブブブブ」など「唇遊び」をし、唇の感覚・感触・操作の方法などを学びます。発達心理学者のピアジェなどは、この特徴を捉え、「感覚運動遊び」ということばを使っています。これに対して、「幼児」とは「間」を使って遊ぶことのできる子どものことである。「「人間」「空間」「時間」などに「間」があり、「幼児」はそれらで遊ぶことができるという点で、「乳児」とは異なっています。つまり人や物との関係の中で、時間軸でその関係を把握して行動することができるということです。たとえば、「予測する」「推測する」「期待する」といった行動が可能になります。これらの能力を利用して、同時に「言葉を介在したイメージを使い遊ぶ」ことができます。その特徴を捉えて、先述のピアジェなどは「象徴遊び」ということばを当てているくらいです。その頃には、「幼児」は盛んに、「みたて」「ふり」「みなし」を伴った「イメージの共有できるごっこ遊び」等をすることが多いです。「幼児」が、「ごっこ遊び」の中で「予測する」「推測する」「期待する」「イメージを(友だちと)共有する」能力を伸張させます(成長します)。したがって、この時期の「幼児」の特徴は、「遊び」の中で「「現実」と「イメージ」を共存」させて遊ぶことができるという発達時期特有の特性を持っています。

このように考えると、「乳児」を「幼児」に育てるためには、「みたて」「みなし」「ふり」といった「イメージ」とそれを生じさせる子どもの能力(たとえば、お母さんは次にどうするかを考えて、時間の先を「予測」したり、「推測」したり、「期待」する力)を育てる必要があるといえましょう。

「幼児」に食べ物に「みたて」た「砂」に対して、おとななどが「美味しいよ」と投げかけると、幼児なら「本当だね。美味しい、美味しい。」と受け応えをしてくれます。しかしこのことは児童期になるとやがて失われます。児童(「学校教育法」による学齢に達した子ども(=小学校に通うようになった子ども))になると、「おじちゃん、馬鹿だね~。砂だから食べられないよ。美味しくもない!」とあっさり返されてしまいます。これは、「嘘っこだけど、美味しいんだ」という気持ちがなくなってしまい、すでに「イメージと現実」を共存させて遊ぶことが必要なくなった(遊べなくなった)子どもの姿になります。もちろん、子どもは成長しているのですが、おとなに一歩近づいた悲しい姿でもあります。

 

このように考えてくると、「幼児」を「児童」へ成長させるには、「予測」に基づいて、「期待(こうしたい、ああしたいという)」を持って、「計画(こうしよう、ああしようという)」する力を育てる必要があります。子どもを成長させるためには、「遊び」が大切であり、各発達期を十分に充実させて過ごさせる必要があるといえましょう。ここで説明のために、発達心理学者のピアジェやワロン等を取り上げていますが、けっして特殊な事物(遊具や教具)だけで子ども成長をはかれるものではないといえましょう。

 

とくに3歳になったら、「他児」(「友だち」とか「他人」)の存在が大切なものとなります。他児との遊びを通した「やりとり」の中で、子どもたちはさまざまな事柄を「学んで」いくのです。その意味で、「3歳になったら幼稚園」というキャッチフレーズは3歳頃の子どもの成長には「他児」が欠かせない点を言い表しています(法律もちゃんとこの点を踏まえているかのようです)。

 

 

「豆腐づくり」より「納豆づくり」

.............................................................................................................................................納豆 写真 ..............................................................................................................................................豆腐 写真

日本の教育においては、「個人(一人)」より「集団」が先行することが多いと言えます。

よく電車の中などで、「そんなことしていたら、おじさんに笑われますよ!」という台詞がよく見受けられます。これは、まったく「個人(一人)」を押し殺して、他人の目を気にする態度を身に付けさせてしまいます。こうした教育は、同じ原料から作られる「納豆」と「豆腐」に例えられるでしょう。

ご存じのように、「納豆」は、大豆を納豆菌によって発酵させた日本の発酵食品のことです。いろいろな種類が存在しますが、現在では一般的に「糸引き納豆」を指すことが多いです。他方、「豆腐」は、大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、その他)によって固めた加工食品です。豆富や豆冨とも表記されます。東アジアと東南アジアの広範な地域で古くから食され続けている大豆加工食品で、加工法や調理法は各国で異なりますが、このうち日本の豆腐は白く柔らかい食感を持つ「日本独特の食品」として発達しました。

つまり、「納豆」と「豆腐」は原材料は同じものですが、製作方法が異なって、まったく違う食品になったものです。これは、教育に例えることができます。「納豆」のようにもともとの「大豆」の形を残しつつ、お互いが違った形をしていても、互いに引き合い、「粘り」という人間関係を結んでいる教育場面でのほほえましい状況と同じと言えましょう。他方、「豆腐」とは、「大豆」を原料としながらも、原型を留めないように加工されて、できあがった食品です。子どもの教育の世界で言えば、子ども「個々」の個性を残しているのが「納豆」、子どもの「個々の」個性は押しつぶされて、クラス全体として「形」をなしているのが「豆腐」だと言えましょう。

つまり、「子どもを教育すること」に話を戻しますと、「ひとりひとりを大切にする教育」とは言うものの、「同一性保持」(他人と同じように振る舞うこと、人と違ったことをしない)への圧力が知らず知らずに働いていることが多くあります。「みんなと同じように・・・」とか、「みんなと仲良くして・・・」といったように、「個人(一人)」は、まるで「集団」のために「同一化」せよと言わんばかりに取り扱われます。「個人の個性」は、「摺り下ろされて」、原型をとどめないようにして「集団」に同化させられていくのです。まるでその様子は、「豆腐づくり」に似ています。

「個性を尊重し」、「個を生かす」保育者のいる環境においては、「個人(ひとりひとり)」の「持ち味(個性)」を生かした形での集団(クラスなどの)形成が可能になります。いわば、「豆本来の」「個性を生かして」(子どもひとりひとりの形を維持・保持・向上を目指して)の「納豆づくり」の形状を成します。

「集団」の中で、競わせるようなことなどをさせて、「ひとりひとり」が「磨り減る」ような状況を作らず、「納豆」のように「お互いがお互いの形状を大切に保持しながらも引き合う(尊重し合う)」関係を形成すべきです。「同一性保持」への圧力を払拭したいものです。

これからの日本の教育においては、「集団」より「個人(一人)」を先行させ、子どもたちが自発的・自主的・主体的にものごとに関わり、子ども同士がお互いに相手を尊重し合える中で、成長していけるような方向性を持ちたいものです。『世界にひとつだけの花』の歌のようになりたいものです。

 

 

 

 

 

世界に一つだけの花』作詞・作曲・編曲/槇原敬之、著作権者(作詞・作曲・編曲以外)/ジャニーズ出版、2002年(平成14年)。JASRAC許諾、第J090816598号。

 

花屋の店先に並んだ  いろんな花を見ていた

ひとそれぞれ好みはあるけど  どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて  争うこともしないで

バケツの中誇らしげに  しゃんと胸を張っている

 

それなのに僕ら人間は  どうしてこうも比べたがる?

一人一人違うのにその中で  一番になりたがる?

 

そうさ 僕らは  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

困ったように笑いながら  ずっと迷ってる人がいる

頑張って咲いた花はどれも  きれいだから仕方ないね

やっと店から出てきた  その人が抱えていた

色とりどりの花束と  うれしそうな横顔

 

名前も知らなかったけれど  あの日僕に笑顔をくれた

誰も気づかないような場所で  咲いてた花のように

 

そうさ 僕らも  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

小さい花や大きな花  一つとして同じものはないから

NO.1にならなくてもいい  もともと特別なOnly one

「高さ」で考える園環境

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@高層マンションimagesQ3J0W4YU「高所平気症」という言葉が最近よく聞かれるようになってきました。

「高所平気症」というものは、「高さに対して怖さを持たない状態にあること」を意味しています。これは、マンションで生活する子育て世帯の増加により、幼少期から高い場所で生活していて「高所」に恐怖心を抱かない「高所平気症」の子どもが増えています。またこのことにより、東京消防庁によりますと、同庁管内で発生した乳幼児の高所からの転落事故は、平成23~25年の間に65件発生しています。そのうち、52人が重症以上と診断されているのです。今年7月にも、東京都渋谷区のマンション1階にあるコンビニへ母親が出かけている途中、そのマンションの12階で留守番をしていた女児(4)=当時=がベランダから転落死する事故が発生しました。他にも、平成26年5月には、葛飾区のマンション10階のベランダから、4歳の男児が転落して死亡しました。このケースでも、母親は兄弟に忘れ物を届けるために1階に外出しており、部屋には男児と妹だけが残っていた状況でした。

このように、ベランダからの転落事故の多くは「子どもだけが室内に残っているとき」に発生していると考えられ、専門家も「子どもは、親がいなくなった不安に耐えられず、何とかして親を探そうとする。外に親がいると分かれば、ベランダからのぞきたくなってしまう」と警告しています。

こうした状況にマスコミがしきりに騒いでいるわけです。この「高所平気症」について、ある専門家は「興味のあるものがベランダの外にあれば、どんな恐ろしい行動でも取れるのが子どもの特性だ」と、注意を促す警鐘を鳴らしています。「高所平気症」の育ってくるのは、「高層マンションの一室などで育つことで、高いところが怖くないという『高所平気症』の子どもが増えている」。と福島学院大の織田正昭教授(福祉心理学)は指摘しています。高層マンション等では「地面」が見えないため、「高さ体験」ができないことが、「高さに対する恐怖体験」などを欠如してきたのが大きな原因のようです。

この社会問題は、高層マンション等では「地面が見えない」ため、「高さ体験」ができないことに起因しているわけです。そして、この「高度平気症」は、4歳になるまでに発症し、一旦「高所平気症」になると、直しにくいものです。

そこで、こうした生育環境で育った子どもたちに、幼稚園・保育所・認定こども園などの集団保育施設においては、どう対応したらよいのか、保育環境の面から考えてみます。

子どもが地面を見ながら、その対比で「高さ体験」できるには、ある程度の高さを持った環境物を考えればよいということになります。その「高さ」から、子どもが日常の自分の背丈とは違う体験をするわけなので、大げさにいえば、新しい「世界観」の獲得を行うとでもいえましょう。つまり、違ったアングル(角度)から世界を見るのです。これにより、日常の子どもの思考においても、「視野の違うアングル(角度)でものごとを考えるようになる」という願ってもいなかった、素晴らしい副産物(「自分独自の新しい創造的な新規の考え方))もついてくるようです。ちょうど、幼児教育の父である倉橋惣三が、「できるだけ自然のままで、草の多い丘があり、平地があり、木陰があり、くぼ地があり、段々があって、幼児が転んだり、走ったり、自由に遊ぶことができるようなところが良い。」「夏には木陰となり、冬は日光が十分当たるように落葉樹を植えると良い。」「幼児にはできるだけ自然の美しさに親しませたい。それには日当たりの良い運動場の一部を花畑、菜園として野菜や花を作り、それを愛育するように仕向ける」と、園庭に起伏を設けて「丘(高い場所)」にまで言及しています。当時は、「高層マンション」はなく、現在の状況をうかがい知る術はなかったわけですから、倉橋惣三としては、「環境に盛り込む教育意図」の話をしているわけですが、直感的に「園庭」が平面ではなく。「高さと起伏」ということを述べていたわけです。現代の幼児教育・保育に生きる私たちとしては、いまはもう亡き倉橋惣三の教育・保育精神を生かしつつも、さらなる「教育・保育意図」を持って、子どもの保育環境を考える必要があります。

「高さ」のある遊具といえば、「ジャングルジム」や「グローブジャングル」などの固定遊具を考えがちになりますが、「ブランコ」や「シーソー」といったものも瞬間的にではありますが、高さの違った世界を提供してくれます。そして、「めまい」や「抑揚感」も味わわせてくれます。でも、集団保育的に見れば、「順番を待つ」という好ましい側面があるにもかかわらず、逆に「人間関係」に「ボス」「従者」といった良くない人間関係が現れてくるものであることを心に留めて保言にあたる必要がありましょう。そうした「固定遊具」以外に、倉橋惣三も述べていた「土山」なども有効になるでしょう。子どもの背丈ほどもあれば、子どもの視点は、本来の「高さ」の2倍ほどにもなり、「高さ感覚」を育成するのは可能です。また、「地面」に足をつけて活動できるわけなので、最初に述べた「高度平気症」を防ぎ、「高さ体験」できる素晴らしい遊具であるといえましょう。そして何より、人まねでない「自分独自の新しい創造的な新規の考え方」を身に付けることになります。

組体操と運動会

運動会の組体操が、学校現場を震撼させている。最近のテレビニュースでも取り上げられていた。そこで、組体操をはじめとして、「運動会」全体を見直してみたい。

そもそも「運動会」は、その起源はヨーロッパにあるとされますが、欧米では体育およびスポーツの分化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子どもによる伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っています。

そのため、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技・演技を行う形式の体育的行事は「近代日本独特の体育的行事」といわれます。日本に見られる行事形式の体育的催しは日本の他に台湾、朝鮮半島など日本統治時代から盛んになり存続しているのです。運動会が日本で行われだしたのは明治時代です。当初、運動会は「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていました。日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、海軍兵学校で行われた競闘遊戯会が一番有力な説です。

1878年5月25日には札幌農学校で「力芸会」が開催され、わずか数年で北海道内の小中学校に広がったといわれています。その後、初代文部大臣・森有礼が体育の「集団訓練」を薦めるため学校で運動会を行うようになりました。日本統治を経験した韓国、北朝鮮、台湾や中国東北部の学校にも日本時代の名残で運動会が存在します。第二次世界大戦中は運動会の種目においても戦時色が強まり、騎馬戦・野試合・分列行進などが行われていましたが、戦争末期には食糧難から運動場が農地化するなどして実施が不可能となった所も多いようです。

小中学校の運動会は、もともとは「集団訓練」を目的とするものでした。最近になって、話題の「組体操」が現れてきました。ですから、「組体操」の目的は、表面的には「団結力をつける」というものが挙がってくるのです。しかし、民主主義の時代に変遷して、現代では、個人目標の「達成感を味わわせる」というものが付け加えられてきたのです。

しかし、全国的に骨折事故が多発し、大阪のある中学校では、ここ3年で7人が骨折していたことが明らかになりました。2014年度に公立小中学校で46件の骨折事故の起きた大阪市教育委員会は、2014年9月に、「ピラミッド」は5段まで、「肩の上に立って重なるタワー」は3段までに制限することを決めた。2015年9月、「ピラミッド」に高さの制限を設けました。日本スポーツ振興センターによると、全国の小中学校で、8000件以上の事故が起きました。骨折は、2000件を超えています。このように危険性の面からの検討は始まっていますが、教育目的上の検討は希薄と言わざるをえません。また、「運動会」それ自身の教育意義も充分には考えられていない状況です。

教育実践をするものとしては、「何故、運動会をするのか?」や「何の目的で行っているのか」の検討がなされて当然です。それは、ちょうど「組体操」が、「より高く、より見栄えのするものになった」ことを見直すことで、答のヒントが得られます。決して、「手段訓練」や「軍事教練」ではないはずです。教育現場では、教員たちはそのことは充分わかっているはずなのですが、今でも、その「見栄え」を教員同士、学校同士で教員が競い合うという要素があり、「見栄え」がよりよくなるために「ショー化」しき、さらにエスカレートしていったという経緯がありそうです。ここでは、子どもたちの教育目的以上に「ショー」を実現する世界が広がってしまったのではないでしょうか。ですから、通常いわれる「団結力をつける」の主語が教員になってしまっているので、「団結力をつけさせる」という妙なことになってしまっているのです。子どもたちは、「ショー」をする「サーカスのライオン」ではないはずです。もう一度、「運動会」全体を「子どもたち」に引きつけて考え、「運動会」を改善したいものです。「子どもたちが主人公、子どもたちが自分の意志で考え、行動する」ものへと・・・。「教員が子どもを号令一下そろえて団結させる」から「自分たち自身で力を合わせて・・・」へとかわった状況の中で、「運動会」全体もできるようにしたいものです。「運動会」は「ショー」ではないということを肝に念じておきたいものです。組体操10段崩れる瞬間 組体操10段

根城(ねじろ)教育論

「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」という言葉は、丸大ハムが1970年代にコマーシャルで使いました。登山にでかけた親子がたき火の横でむしるようにナイフでハムを切り、切ったハムをたき火にかけるというものでした。当時の流行語になったものです。この子どもを「わんぱく」に育てる秘訣を考えてみたいと思います。

幼稚園・保育所・こども園などの集団保育施設に通い始めた子どもに欠かせないものがあります。それが、「根城(ねじろ、a base (of operations))」です。「根城(ねじろ、a base (of operations))」とは、言い換えれば「心の基地」とでもいえるものです。周りの時間や空間から隔絶した状態で、自分自身の「思い」や「意図」を密やかに実現できるところです。子どもが初めて訪れた時に、「自分のやりたいこと」を行って、「しめた。面白かった。また、やりたい。(ある種の「成功体験」)」と心に刻めた場所です。ですから、そこへ行けば、「またやることができるぞ!」と密かに喜べて安心できるようになっているところです。ですから「心の基地」と述べたわけなのです。子どもたちは、「根城(心の基地)」を中核にして、場を拡大していきます。「これもやってみよう」「あれもやってみよう」「これを遣うとどうなるの?」「あれならどう?」というように、ひとつの「好奇心」から始まってさらなる「好奇心」へと心の世界も広げるのです。

ここで話はかわって、乳児の時期の寝返りを打つことができる以前の子どもを思い出してください。その頃、あなたのお子さんには、どのような遊具を与えていましたか?

高価な「ツリメリー」ですか、それとも廉価な「ガラガラ」でしたか。音が出て、目を楽しませてくれるという点では、同じような遊具のように思います。リッチな皆さんは、高価な「ツリメリー」だったかもしれません。でも、ここでは価格の高低で判断しないで、「心理的な」あるいは「行動形成的な」側面より考えてみたいと思います。

「ツリメリー」の操作は誰が行うのでしょうか?たいていの場合は、おとなである親が操作し動かすことが多いものです。すると成長の主人公である子どもはどのように楽しんでいるでしょうか?ツリメリーが楽しくなる音とともに、グルグルと回って目を和ませてくれます。でも、子どもの楽しみは受け身(観て楽しませてもらう)になります。

一方、「ガラガラ」ではどうでしょうか?おとなが「ガラガラ」を揺すって、楽しませてやることもあります。でも、違ったことも起こることがあります。枕元に偶然置いた「ガラガラ」にバタバタさせている子どもの手が偶然当たり、「ガラッ」と音が立つ場合があります。それをきっかけにして、子どもは「自分の手とガラガラの因果関係」に気づくことがあります。そして、まだ充分に使えない自分の手で「ガラガラ」を握って揺するという行為に挑んでみるようになります。そして、自分が揺すってみると、「ガラガラ」と自分の生み出した音を聴き、楽しめます。これは、一種の成功体験で、再度チャレンジし、また自分の生み出した音で楽しみながら、その因果関係を確実に認識するようになります。

このように考えてくると、廉価な「ガラガラ」ではありますが、高価な「ツリメリー」より勝る成長を子どもにもたらします。子どものこの体験のことを、昔ある学者が「世界を変えたという体験」と大げさに表現したことがありました。

さて、話を戻しましょう。「根城(ねじろ:心の基地)」の話です。幼い頃より上記の「ガラガラ」を自分自身で使って(操作して)育ってきた子どもは、通常の子どもたちより「好奇心が旺盛」で、チャレンジ精神が満ちあふれて育ってきているはずです。ですから、集団施設(幼稚園・保育所・こども園)に通い始めると、まず自分が悪戯や遊びを満足できるまで行うために、まず「根城(ねじろ、心の基地)」を探し出そうとしますから、園での環境はそれに応えられるものであることが必要です。子どもが身を隠せる場所、入り込んで悪戯でもできそうな場所などがそれです。逆に、余りにも整然と片づけられすぎている環境では、力を発揮できません。運動場に足跡が付くほど整地されていれば、足を踏み入れられないのと同じです。また、子どもたちが身を隠す場所のないのも考えものです。すべて白日の下にさらされているなら、ひっそりとした「秘め事」を楽しむことができず、子どもたちが時空間から自由になって、自分自身を主人公にすることが困難になるからです。子どもたちの「好奇心」はくすぐられません。「遊び心」に火が付かないのです。これは、「遊びの環境づくり」の視点の一つには欠かすことのできないことなのです。

低構造性の遊具

ガラクタとかリサイクルの物品は、一般的に、「低構造性の遊具」ということができます。これらが、子どもたちの成長に重要な位置を占めます。それは、遊び方や遊びの手順が決まっていないので、子どもたちの自由にまかせられている反面、子どもたちが、遊び方や遊びの手順を決めないと遊べないからです。その時点で、子どもたちは「意思決定」、「イメージ」や「工夫」を凝らして遊ぶことになります。

森  楙(もり しげる)は、その著書『遊びの原理に立つ教育』の中で、どんな種類のおもちゃが、子どもの遊びを発展させるかの答えとして「形や使いみちが決まってしまっている既製のおもちゃよりも、いろんなものに使える素材や材料のほうが望ましい」(森 楙著『遊びの原理に立つ教育』黎明書房、p.73)と結論づけています。構造性の高い、スイッチを押すだけで走り出すラジコンカーよりも、構造性の低い、工夫を必要とする素材的な材料なら、飽きることなく子どもは遊び続けるとしている。

いろんなものに使え、遊ぶために工夫が必要な素材や材料である「低構造性の遊具」に対して、「高構造性の遊具」とは、遊び方や遊びの手順が、予め決まっている遊具(ここでは、先のラジコンカー)を意味しています。「高構造性の遊具」で遊ぶ際には、子どもは自分で遊び方や遊びの手順を決めることがありません。もちろん、遊ぶために工夫することもないのです。それは、遊びを子どもが始める前に、予め「遊び方」や「遊びの手順」が決まっているので、子どもはそれらにしたがっているに過ぎないからです。「自分で遊び方や遊びの手順を決定する」ことがないのです。このことについては、倉橋惣三「恩物について」『幼稚園雑草』、『倉橋惣三選集』pp.198~pp.202)の中で、Gabe(「恩物」)のことばを理解するにあたり、「それはいうまでもなく原語通り(Gabe(恩物)をGabeとして研究しなければならない。またフレーベル先生の深い思想の籠もっているこの言葉に対して、道当なる敬意を払うことも忘れてはならない。しかし、それは昔のものを昔のーものとして貴重する研究上のことである。毎日の保育が始終古典によらなければなにしても、色板にしても、金輪にしても、箸にしても、いずれか持ちて遊ぶに面白き玩具ならざるである。しかのみならず、これらのものは決して必ずしもフレーベル先生によって、発明せられたものではない。その以前からどこにでもあったものである。別に何の本に書いてあるとか、どこの古丘から発掘せられたなどとむずかしい諭は持ち出さずとも、毬や板や棒切れが子供の玩具に用いられたことは、ギリシャの昔にもエジプトの昔にもあったことに相違ない。文明人ばかりではない。野蛮人の子供でもこのくらいの玩具は知っているだろうと思う。それが「フレーベル氏恩物」という名称の下に、いかにも特殊なるものとして取扱われているのは、何故なのであろうか。いうまでもなく、フレーペル先生がこれらの珍らしくもない玩具の中に、見出し、しかして組織した教育上の理論によるのである。すなわちその理論に対しての特殊なる取扱いをするのである。ここにおいて、いわゆる恩物の恩物たる所は、理論にあって、物にあるのではないということは、少しく事を分解して考え得る人には直ぐ分ることである。さらに言葉をかえていえば、恩物とは彼の品々が幼児の玩具として多くの有益なる点を持つというフレーベル先生の考えから、賞讃的に付けられ得る名称である。フレーベル先生の時代には、玩具の教育的価値に就ては、寓意か考案のあるものでなけれぱ、教育的でないもののように思われていた。そして、特別に貴い意味でもあるかのように取扱ったのである。しかも、フレーペル教育説を研究した人の知っておらるる通り、先生には物をむずかしく考え過ぎる論理癖があった。総てのものに臭の意味を付けようとする象徴癖があった。これは先生の偉大なる一面をなしたものでもあったが、また確かに一つの欠点でもあった。殊に幼児にとっては、理の勝ち過ぎるという極く不似合のものであった。しかして恩物という意味深長な(命名者にとって)名称も、この象徴癖から出来たものなのである。玩具は玩具でよろしいではないか。近世の児童研究は子快の遊戯の真意義を附聯して、遊戯という言葉の品位を高いものにしたと共に、玩具という言葉をも、昔のいわゆる「もてあそび」とは趣の異なったものたらしめた。椎しつめた理屈からいえば、世間でいう教育的玩具なる言葉が余計な語であるといってよい位、玩具そのものの本来性が教育的なものに理解せられて来たのである。かくのごとく玩具なる語の尊厳が認められている世に、幼稚園で用いるからとて、わざわざ別の名をつける必要は少しもない。モンテッソリー女史考案の保育玩具はイタリーの原語では何と呼ぱるるか知らないが、英語では Didactic materia1すなわち「教育用具」と訳されている。ところかおかしいことに、「モンテッソリーの恩物」という言葉が時々使われている。幼稚園では何もそんなに恩物という言葉を用いなければならぬものであろうか。今年の三市連合保育会の研究議題の中に、「三十恩物以外保育材料として現今使用せらるる恩物あらばその種類並びに使用方法を承りたし」というのがある。この意味は充分よく分ってもおり、また至極宥益な研究題であると思うが、ここにも恩物とい執着し過ぎておられる観がある。…(略)…恩物の言語Gabeにぱ恵まれたる物、すなわち天恵というこころがあるが、もし、そういう心からいうならば、木の葉、石ころ、すべての自然物程、真に天恵物であるものはない。そういう意昧でこの言葉を用いるならば、極く広い範囲にあらゆるものが恩物と言われるであろう。こういうといかにも、言葉の上の揚げ足取りのようであるが、余り恩物々々という言葉を口癖のように使わるるのを聞くと、こういう理屈もいって見たくなる訳である。余は嘗てフレーベル光生の恩物論を、余りに抽象的に、また象徴的であるという点から、甚しく批難したことがある。これ何も余の独創でもなんでもなく、発生的に幼児教育を行なわんとする人の皆一致する論でなければならない。余は今日においても勿論この批難を固持しているものである。しかし、余の批難したのは恩物諭であって、木片、棒片、そのものではない。あれは立派な玩具である。…(略)…恩物としてならば批難する。玩具としては賛成する。これが明白なる余の諭なのである。いっそ間違いの起らないように「恩物」という言粟を平常は使わないようにした方がよいかも知れない。それで、フレーベル先生の偉大さが少しでも傷つく訳ではなく、また尊敬すべきフレーペル先生も、却って地下にそれを喜ばるることと信ずるのである。」と述べて、自然の中にある「低構造性の遊具」こそが天恵のすばらしい玩具であるとしています。

ですから、子どもたちがいつでも自由に使える「低構造性の遊具(素材や材料、ファジーなおもちゃ)」が、保育環境に用意してある必要があるといえましょう。

この「いつでもどこでも自由に」という内容については、木下竹次がその著書『学習原論』の中で、学習室内の書物棚、図書室や理科室の事例を出して説明しています。「学習室内の書物棚は硝子戸棚とする必要はない。書物棚には戸のないほうが便利である。戸棚の価格も安くなる。…(略)…図書雑誌は購入には限らない。児童生徒・其の父兄・教師・一般の人から寄贈して貰ってもよろしい。小学校の教科書ごとき進級後はたいていは使用しないのだから、これを学校に寄贈させると、教科書の貸与制度も成立する上に、必要に応じてこれを利用するにも便宜がある。…(略)…図書と同様に器械、器具、標本、実物ももちろん学校管理者の方から購入して備えつけねばならぬが、むしろ教師用のものは教師から、児童生徒用のものは児童生徒からその購入を要求してのち備えつけることにすると一層効果がある。児童生徒から必要な器械、標本等を要求しうるように平素これらを観察し注意するようにしむけ、学校にはこれらの目録一覧表などを備えつけるがよろしい。かくのごとくに購入するのもよろしいが、それよりも師弟協同して製作、採取、蒐集することが必要である。理科の学習においても、…(略)…材料蒐集がなくては学習は不十分である。従来のこのごときことは多く教師のs仕事であったが、学習からするとこれらが大切なる学習活動である。器械標本等が平面的に備えつけられるよりも発展的に漸次完成に近づいていく方が学習上すこぶるおもしろい。(pp.116~pp.117)」としています。すなわち、「低構造性の遊具(素材や材料)」についても、子どもと保育者が一緒になって収集することが望ましく、また、収集したものを、子どもたち自身が、「いつでもどこでも自由に」扱えるように保育環境を整えておく必要があるといえましょう。