中型動物飼育の必要性

園内飼育環境を考える際、通常は動物は何を飼えばよいか」とか、「どのような飼い方がよいか」などを小型の動物という範囲で考えてしまうことが多いといえます。でも、子どもたちが小型飼育動物を飼う際のことを考えれば、子どもにとって、「同じ園での育ちあい仲間」とか「生活協同体(ともに育っている、ともに生活している)とする」視点の育成には繋がる余地が少なく、動物たちを「ペット」扱いしてしまう危険性がおおくなるといえます。

 

私の過ごした「幼稚園」は、近所の人たちから親愛を込めて、「動物園」とか「植物園」と呼ばれていました。そんな「動物園」・「植物園」で「遊んだ」子どもたちは、そうした環境の中で何を「学んだ」のでしょうか?そこには、子どもたちが「さながらに」生きる生活があるのです。その一端を見ていきたいと思います。

 

★「動物園」と呼ばれた「幼稚園」

①小鳥の世話→鳥小屋は保育室ほどのスペースで、鳥(烏骨鶏、鶏、アヒル、鴨、セキセイインコ、ヒイインコ、ナナクサインコ、そしてスズメ(子どもが鳥小屋を開けるたびに飛び込んだ))がいます。デッキブラシで水槽を掃除しての水替え、糞の世話、エサやりを「やりたい子ども」が、当番活動ではなく「自分の意志」で行います。他の遊びや活動の行動選択と同様に「子ども自身」が「自発的(主体的)」に行うわけです。鳥小屋から飛び立ったインコ類は、その時刻になると野鳥として鳥小屋に覆い被さっている楠に飛来し、子どもたちからエサをもらう、という妙で一見変わった現象が生じます。いわば、「野鳥のエサやり」です。インコたちも郷里を忘れずに戻ってくるのです。子どもたちも同じで、我が園を巣立った鳥たちに対しても「思いやり」を呼び起こします。その関係性には、とても深くて幅広いものがあります。

②ヤギやブタ→サークル内で飼育している「ヤギ」や「ブタ」の住居位置はどんどん変わります。とくに春先には、通用門の子どもたちが園へ入ってくる動線上に「子どもを邪魔するかのように」配置されます。これには、大きな理由があります。子どもたちは、どうしても園へ入ってくる途中にそうした動物たちに目をやらねばならない状況が創り出されます。通用門の前で毎年繰り広げられる光景(主人公の新入園児が、「帰る~」「いやや~」など心理的なストレスが最高潮に達した状況)があります。新入園児がふと見ると年長児たちが平然と動物たちにエサをやっています。それに見とれて、自分の状況を放念する新入園児になってしまいます。そうした中で突然、年長児が「あんたもあげる?」とキャベツを手渡されると、こわごわヤギの口へエサを持っていきますが、ヤギが食べようとする瞬間に手放してしまい、落ちたキャベツをヤギはムシャクシャと食べてしまいます。その時には、新入園児は我を忘れてしまっています(いわば保育をする「保育者」ならぬ、保育をする「保育ヤギ」がストレス状況にある新入園児の保育を行い、無事にストレス状況を乗り越えさせてしまうのです。ここにおいて「保育ヤギ」が登場するのです)。この時にはもう、新入園児は通用門の中に入り、つい先ほどまで泣き叫んでいた「自分を忘れて」心理的ストレス状況を乗り越えてしまいます。これらは、子ども自身の「自発的(主体的)な」行動の結果として現れてくるのです。ヤギやブタ等の動物に接する際に、子どもたちは、知識をフル動員し、智恵を絞り出し、工夫に努力し、そしてやっと心が揺り動かされる体験をしていくのです。動物に対する「思いやりの心」は、こういうところからスタートします。なぜなら、新入園児たちは、この困難な状況で救ってくれたヤギに心を許し、安心してヤギとの生活が始まるからです。子どもたちのこうした体験抜きで、単純な「(保育者などからやらされる(子どもの自発的(主体的)でない)ような)当番活動」を機械的にやらせるような保育では、ヤギなどの動物たちとの共感的理解をするチャンスに恵まれることはほとんどないでしょう。

③ヤギの首やブタの毛で→ヤギの飼育は、子ども「自発的(自主的)な」活動の中で毎日続けられます。そんなある日、ヤギの首に抱きついた子どもは突然、「ヤギさん、暖かいわ~」と叫びます。まさに命のぬくもりを体感した瞬間です。中型動物の良さは、子どもが全力投球で接する必要があるのと、場合によっては友だちと力を合わせて何本ものリールをつけて公園まで散歩に連れて行く必要がある点にあります。小さな動物では、「一緒に生活している」という体験のできるチャンスに乏しく、「ペットかわいがり」で終わってしまう危険性すらあるのです。そうなると、「命の尊厳」や「思いやり」に対する、子どもの心の動きは期待しにくいものになります。

こうしたことは、ブタとの生活の中でも違った体験として子どもたちは遭遇します。「ブタは臭くて汚い」などというおとなの偏見の中には、子どもはいません。ブタにホースで水をかけてあげると、ブタはかゆい所にホースの水がかかるように体の方向を変えます。ブタは、このようにして自分の心や気持ちを子どもたちに伝えているのです。それに気付いた子どもは、ブタに「ここがかゆいんだろ!」とデッキブラシの位置を変えてこすってやります。ブタは神妙にじっと気持ちよさそうにします。ブタは「臭くなく、綺麗好き」に変わる瞬間です。「ブタは臭くて汚い」という言葉を知る前に、子どもたちは「ブタは気持ちを持っていて臭くなく、綺麗好き」を体感してしまうのです。