「運動場」と「園庭」の違いから環境を考える

小学校以上の施設では、「運動場」というものがあります。それに反して、幼稚園や保育所では、「園庭」といいます。その理由から、両者の違いを整理し、「教育環境」の構成の違いに言及しましょう。

小学校以上で「運動場」と言うからには、そこでは、「運動」のしやすい環境である必要性があります。ずばり述べますと、高低差や池などの環境よりも、「広々としていて邪魔になるものがない環境」ということができます。つまり、起伏よりもトンボなどでならされた水平な地面が必要ということになります。まるで、毎日「運動会」ができる空間ともいえるものです。

これとは違って、幼稚園や保育所でいう「園庭」には、高低差があり起伏やくぼみのある変化に富んだ「環境」が重視されています。これは、そこにいる子どもの発達特性や発達過程に大きなつながりがあります。

子どもたちが山に登り、そこから、あらためて日常見ている世界を見ることによって、その子どもにとって新たな発見をし、気づくことのできる「環境構成」であるということができます。また、「山の上から水を流す」などによる「遊び」を行う中で、「水は高いところから、低いところへと流れる」というおとなにとってはあたりまえの常識を「学ぶ」ことになります。そのような時には、短く切った樋などがたくさんあれば、子どもたちは工夫し、協力しあって「遊び」の中でさまざまな人生に必要なことを「学んで」いきます。

さらに「園庭」の「くぼみ」に生き物が生息していると、そうしたものへ、子どもたちは、気持ちを向けていくチャンスに恵まれます。こうしたように、幼稚園や保育所にいる子どもたちのことを考えると、「広々していて平坦な運動場」よりも「さまざまに起伏や変化や生き物たちの生活のある園庭(場合によっては草が自然に生えているような園庭)」がより重要で必要なものになるといえましょう。

子どもの動線から考える保育環境

子どもたちの成長・発達にとって「遊び」が非常に大切なものと多くの研究者や実践者たちは考えています。でも、子どもたちの「遊び」環境を考える際に、子どもそれぞれの「遊び」が互いに干渉しあって成り立っているということを明確にしている人は非常に少ないと言えます。ただ漠然と「遊びが大切である」というばかりです。その「仕組み」や「なぜ、遊びが子どもたちの成長・発達に欠かせないばかりか、重要なものである」ことを明確にしきっていないといえましょう。

今回は、子どもたちの動きの「動線」から「遊び」に不可欠な「保育環境」を分析したいと思います。

幼児教育(保育)にあたる保育者として、最低限押さえておかなければならない事項で、「幼児教育環境(保育環境)」を考える時には欠かすことのできない視点です。

たとえば、公道上を自動車が走る際に、交差点にどのような「信号」を設置し、「交通整理」を行い、事故を未然に防ぎ、よりスムーズに各自動車が運行できるようにするか、ということに近いものがあります。

それでは、より具体的に私が幼稚園の園長をしていた際の事例で考えてみたいと思います。その当時は、廊下が開放廊下になっていたため、子どもたちは「どこからでも出入りが自由に行える状況にありました。いわば「動線」は自由に描けますが、衝突や事故、あるいは「遊び」のスムーズな展開にはあまり好ましくない状況」だったわけです。「遊びの保育」を行うためには、「動線」の「交通整理」をする必要があったわけです。それでその一部を自由に出入り(表向きは、子ども保育室から園庭への出入りは「自由」)できないようにするため、重い重量のプランターを置いて、花や四つ葉のクローバーを植えるようにしました。もちろん、プランターですから、子どもたちと一緒に、季節の花々の栽培も始めました。これは、子どもの動線上で子ども同士は衝突することを防ぐ目的と動線の自由な利用の中で、子どもたちの動線を整理する意味合いがあったといえるでしょう。もちろん、花々の栽培による教育効果も考えざるを得ない状況にもなったわけです。

これにより、子どもは、自分の行きたい方向にあたかも自由に行動していますが、子ども同士で衝突したり、動線の邪魔をしあったりすることはないようになりました。そればかりか、自分(自分たち)以外の「遊び」をしている他の子ども(子どもたち)のことを、子ども各児が考え始めるきっかけにもなりました。そして、互いの「遊び」を尊重しあって「遊べる」ようになっていきました。子どもたちに「思いやり」の気持ちも生まれていったということができます。

このように子ども遊びの「動線」から「幼児教育(保育)環境」をとらえて、「プランター」を置くといった単純な保育作業だけで、子どもたちが「遊び」をとおしてさまざまな力(生きる力)を伸ばしていったわけです。「動線」で「幼児教育(保育)環境」を考えるという、ほんのわずかな観点だけで、幼児教育(保育)は、ずいぶん変わっていくのです。