組体操と運動会

運動会の組体操が、学校現場を震撼させている。最近のテレビニュースでも取り上げられていた。そこで、組体操をはじめとして、「運動会」全体を見直してみたい。

そもそも「運動会」は、その起源はヨーロッパにあるとされますが、欧米では体育およびスポーツの分化により、一方では特定種目の競技会やそれを複合させたスポーツ競技会、一方で子どもによる伝統的な遊戯まつりやピクニック会などへとつながって今日に至っています。

そのため、日本の運動会のように参加者が一定のプログラムについて順次全体としてまとまりながら競技・演技を行う形式の体育的行事は「近代日本独特の体育的行事」といわれます。日本に見られる行事形式の体育的催しは日本の他に台湾、朝鮮半島など日本統治時代から盛んになり存続しているのです。運動会が日本で行われだしたのは明治時代です。当初、運動会は「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼ばれていました。日本で最初に行われた運動会は定説によれば1874年3月21日、海軍兵学校で行われた競闘遊戯会が一番有力な説です。

1878年5月25日には札幌農学校で「力芸会」が開催され、わずか数年で北海道内の小中学校に広がったといわれています。その後、初代文部大臣・森有礼が体育の「集団訓練」を薦めるため学校で運動会を行うようになりました。日本統治を経験した韓国、北朝鮮、台湾や中国東北部の学校にも日本時代の名残で運動会が存在します。第二次世界大戦中は運動会の種目においても戦時色が強まり、騎馬戦・野試合・分列行進などが行われていましたが、戦争末期には食糧難から運動場が農地化するなどして実施が不可能となった所も多いようです。

小中学校の運動会は、もともとは「集団訓練」を目的とするものでした。最近になって、話題の「組体操」が現れてきました。ですから、「組体操」の目的は、表面的には「団結力をつける」というものが挙がってくるのです。しかし、民主主義の時代に変遷して、現代では、個人目標の「達成感を味わわせる」というものが付け加えられてきたのです。

しかし、全国的に骨折事故が多発し、大阪のある中学校では、ここ3年で7人が骨折していたことが明らかになりました。2014年度に公立小中学校で46件の骨折事故の起きた大阪市教育委員会は、2014年9月に、「ピラミッド」は5段まで、「肩の上に立って重なるタワー」は3段までに制限することを決めた。2015年9月、「ピラミッド」に高さの制限を設けました。日本スポーツ振興センターによると、全国の小中学校で、8000件以上の事故が起きました。骨折は、2000件を超えています。このように危険性の面からの検討は始まっていますが、教育目的上の検討は希薄と言わざるをえません。また、「運動会」それ自身の教育意義も充分には考えられていない状況です。

教育実践をするものとしては、「何故、運動会をするのか?」や「何の目的で行っているのか」の検討がなされて当然です。それは、ちょうど「組体操」が、「より高く、より見栄えのするものになった」ことを見直すことで、答のヒントが得られます。決して、「手段訓練」や「軍事教練」ではないはずです。教育現場では、教員たちはそのことは充分わかっているはずなのですが、今でも、その「見栄え」を教員同士、学校同士で教員が競い合うという要素があり、「見栄え」がよりよくなるために「ショー化」しき、さらにエスカレートしていったという経緯がありそうです。ここでは、子どもたちの教育目的以上に「ショー」を実現する世界が広がってしまったのではないでしょうか。ですから、通常いわれる「団結力をつける」の主語が教員になってしまっているので、「団結力をつけさせる」という妙なことになってしまっているのです。子どもたちは、「ショー」をする「サーカスのライオン」ではないはずです。もう一度、「運動会」全体を「子どもたち」に引きつけて考え、「運動会」を改善したいものです。「子どもたちが主人公、子どもたちが自分の意志で考え、行動する」ものへと・・・。「教員が子どもを号令一下そろえて団結させる」から「自分たち自身で力を合わせて・・・」へとかわった状況の中で、「運動会」全体もできるようにしたいものです。「運動会」は「ショー」ではないということを肝に念じておきたいものです。組体操10段崩れる瞬間 組体操10段