その子らしく

「その子らしく」を理論的にみると、カウンセリングのロジャーズの考え方に行き着きます。それは来談者中心の「ノンディレクティヴ・カウンセリング技法(「来談者中心療法(クライエント中心療法)」)」というものです。クライエント(この場合は、子どもと解釈すると、保育全般のこととして理解できます)中心に悩みや問題をちゃんと聴き=「傾聴」、ときには質問したりして、クライエント(子ども)自身が自分の行動に責任を持ち、自分(子ども自身)がどういう人間なのか、という自己理解を深めるサポートを意味しています。いいかえれば、子どもの一人ひとりの「人間性」の理解の上に立ち、それを子ども自身が理解し、子ども自身が自分を大切にしながらも、他者の存在に目を向けて、それをも大切にしていける状況を作りだせる存在にしていくものというものです。ロジャーズのいう、「受容」・「傾聴」・「共感(的理解)」が基本となります。保育においてもこれら(「受容」・「傾聴」・「共感(的理解)」)が指導の重要な位置をしめることから、「保育カウンセリング」や「カウンセリング・マインド」という言葉が編み出されてきました。これらは、日本で「保育」を焦点に入れて作成された「和製英語」ですので、国際的に通じる「英語」ではありませんから、注意してください。

このように、保育においては保育者を含め、子ども自身が「自分」を認めることから始まって、「他者」を認め、思いやりの気持ちで接することが大切にされます。子ども自身が自分の行動を決定し、思いを成し遂げていけるものとして、多くの学者は「子どもの遊び」の重要性を指摘していますのは、「(子どもの)遊び」が、「遊び」という活動を計画(何して遊ぶか)し、決定(どのように遊ぶか)するときに、「遊び」が「自己決定の原則」という重要な要素を含んでいるからです。よく、「「遊び」は「自発的」なものです」という言外には、このことが含まれているので、「子ども(の成長)にとって、「遊び」は重要です」と言われる所以(ゆえん)があります。

J.J.ルソーやF.フレーベルに学んだ日本の幼児教育の父である倉橋惣三も、例外ではなく、「子どもの遊び」に始まる保育を『誘導保育論』の論拠としています。倉橋のいう「さながらの生活」という「さながら」とは、現に「子どもが始めている生活」と意味しています。ここから倉橋の指導は開始していきます。この点が、倉橋惣三の『誘導保育論』の心髄ということになります。この倉橋惣三が学んだF.フレーベルは、この「(子どもの)遊び」を、「幼年期において人間の発達上、最高の働きを為す者は遊戯である。なぜ遊戯が最高の働きであるかといえば、遊戯においては、児童は内部の必要に応じて、自ら自由に活動して、内部的本質を外部に現すからである。

遊戯は幼児が為す所の最も純粋なる、又、最も模範的なる生活である。独り人間のみならず万物の内にも隠れて居る所の内部的生命の模範である。其れ故、遊戯は之を為す者に喜悦、自由、満足、休息、及び外界との調和を与ふるものである。又、遊戯は凡て善なるものの源泉である。だから身体の疲れるまで、思ひ切って熱心に根気能く遊ぶ子供は、生長の後、屹度、自他の安寧幸福を増進するために能く克己することの出来る、意志の強い人と為ることが出来る。(「フレーベル氏 人之教育」原田助校閲 ハウ女子編 1917年 初版1909年 警鐘社書店)」と述べています。この点についての詳細については、別途説明したいと思います。

以上のように、「その子らしく」というフレーズは、単なるキャッチコピーではなく、保育にとって重要な多重の意味合いが隠されているわけなのです。

大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人である金子みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日)本名:金子 テル(かねこ テル))は、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点ですが、金子みすゞがいうように、「みんなちがってみんないい」のです。そういう意味では、SMAPなどに歌われている「世界に一つだけの花」の歌詞の内容は、園での子どもの指導に生かせるものです。日々の保育でも、この歌を口ずさみながら、大切な子どもたちの保育に当たっていただけると、保育の世界がさまざまな色合い鮮やかに輝くものとなるでしょう。

 

参考までに、「世界で一つだけの花」の歌詞を掲載しておきます。

『世界に一つだけの花』作詞・作曲・編曲/槇原敬之、著作権者(作詞・作曲・編曲以外)/ジャニーズ出版、2002年(平成14年)。JASRAC許諾、第J090816598号。

 

花屋の店先に並んだ  いろんな花を見ていた

ひとそれぞれ好みはあるけど  どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて  争うこともしないで

バケツの中誇らしげに  しゃんと胸を張っている

 

それなのに僕ら人間は  どうしてこうも比べたがる?

一人一人違うのにその中で  一番になりたがる?

 

そうさ 僕らは  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

困ったように笑いながら  ずっと迷ってる人がいる

頑張って咲いた花はどれも  きれいだから仕方ないね

やっと店から出てきた  その人が抱えていた

色とりどりの花束と  うれしそうな横顔

 

名前も知らなかったけれど  あの日僕に笑顔をくれた

誰も気づかないような場所で  咲いてた花のように

 

そうさ 僕らも  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

小さい花や大きな花  一つとして同じものはないから

NO.1にならなくてもいい  もともと特別なOnly one