2月2016

遊びは自分自身の表現

「遊びは自分自身の表現」という言い方は、「子どもの遊び」が「子ども自身の内部にある(秘めている)ものの表現」である、という意味合いです。この「内部」の「表現」は、F.フレーベルによって、「幼年期において人間の発達上、最高の働きを為す者は遊戯である。なぜ遊戯が最高の働きであるかといえば、遊戯においては、児童は内部の必要に応じて、自ら自由に活動して、内部的本質を外部に現すからである。(「フレーベル氏 人之教育」 原田助校閲ハウ女子編 1917年 初版1909年 警鐘社書店 )」と、述べられています。すなわち、F.フレーベルの定義になっているわけです。この「内部」の「表現」ということについては、倉橋惣三もその定義を用いながら、「製作」という当時としては新しい考え方をかつて打ち出しました。奇しくもそれは、彼の死後の1956年(昭和31年)に文部省の出した新しい6領域という形で、保育内容の一つ(「領域 絵画製作」)となりました。

これはそもそも、東京女子高等師範学校附属幼稚園初代主事(園長)の関信三によって、『幼稚園法二十遊嬉』(F.フレーベル作、関信三纂輯(編集)、1879年(明治12年3月17日版権免許、東京書肆靑山堂)という編纂書の形で、F.フレーベルの「恩物」(「恩物」(独語のdie Gabe、神からの賜り物の意から、関信三により「恩物」と訳された造語です。これ以外にも、たの人物による幾通りかの翻訳が存在していました)は、F.フレーベルによって、作成されましたが、同書の流布が「二十恩物」としての恩物理解を促したであろうことは疑い得ません。日本の保育界では、F.フレーベルの教育思想というよりも、「恩物の操作」自身が「保育」であるということが一人歩きしてしまいます)

この20種の取扱説明にあたるものが纂輯(編集)・発刊されて以来、またたく間に日本中に拡がり、永きにわたって生き続けてしまいました。つまり、「恩物の操作」自身が「保育」であるという間違った認識が日本中に広がってしまったのです。倉橋惣三も「保育項目」の中に「・・・等」という記述があったことで、保育項目(保育内容)が「手技」に限定されないという意味で一応評価した『幼稚園令』(1926年(大正15年))でさえ、「保育項目」(保育内容)の一つの「手技」の中に内包(「手技」の主な活動は、「恩物」の操作である)されていました。その過ちを正した上で、フレーベル主義の恩物使用の固定化やフレーベル主義者の教条主義、倉橋の言葉で言えば「フレーベリアン・オルソドキシー」(恩物理論の裏付けを欠いた使用法のみの普及に偏った方法のみのもの)に疑問を抱き、F.フレーベルの本来の教育思想を普及させるべく、倉橋惣三は「製作」という言葉を使用します。そこで倉橋は、F.フレーベルが「遊び」の定義としていた「内なるものを外へ現すもの」という定義(F.フレーベルの『「遊戯」の定義(『人之教育』(原田助校閲、ハウ女史編、1917年(大正6年、警鐘社書店。この書による訳では、「内部的本質を外部に現す」となっている)、この「製作」という言葉は、その後、1956年(昭和31年)の「幼稚園教育要領」の保育内容の6領域の中に「絵画製作」という領域として成立していきます。倉橋惣三は、その結実をみる前年の1955年(昭和30年)の4月にこの世を去ってしまいます)

倉橋惣三は、この「製作」という言葉で「手技」を言い換えた言葉を使ったことは、倉橋が、保育界で1879年(明治12年)以来、長年に亘り定着してしまっていた「恩物の操作」を「保育」とすることを正すために、「手技」という「保育項目」に代わる物を提示したといえます。こうした倉橋惣三の働きによって、「手技」という言葉は、保育界からは徐々に消えていくことに繋がっていきます。倉橋惣三の長年に亘る思いは、ここに結実されたといえるでしょうそうした角度から今一度、「遊びは自分自身の表現」を見直したいものです。

自ら育む

「自ら育む」ということばの主語は、当然子どもです。子ども自身が自分自身の力で自分自身を育んでいくというということになります。こうした考え方は、倉橋惣三(1882年(明治15年)12月28日~1955年(昭和30年) 4月21日、大正・昭和期の幼児教育の研究実践家)の言葉を借りれば、「「育ての心」とは何か。それは、自ら育とうとするもの(子ども)を育てずにはいられなくなる心である。その心によって、子どもと保育者・親とはつながることができ、子どもだけでなく保育者・親も育つことができる。子どもを信頼・尊重し、発達を実現させることもできる。この心は、職務として現れるものではなく、義務として現れるものでもない。自然なものである。」(『育ての心』(1936年)の前書き)と言っていることに立脚したものになります。幼児教育者としては、無意識に近い形でこのように考えてしまうのです。言い換えれば、J.J.ルソーやF.フレーベルといった教育先達者のこうした考え方がベースにあるということにもなります。

さて、倉橋惣三にとっては、「子ども」とは「自ら育とうとするもの」だったわけです。子どもに全幅の信頼を寄せている点が倉橋の特徴でもあります。この『育ての心』においては、保育者(親)の働きは、「育てずにはいられなくなる心である。その心によって、子どもと保育者・親とはつながることができ、子どもだけでなく保育者・親も育つことができる。」と締めくくっています。彼の墓碑にも、この『育ての心』(1936年)の冒頭の一節「自ら育つものを育たせようとする心 それが育ての心である 世の中にこんな楽しい心があろうか(『育ての心』(1936年)序文冒頭文)」が彫り込まれています。子どもは、「自ら育つもの」と表現されています。これらは、倉橋惣三が、J.J.ルソーの「自然主義教育論」に立っているともいえます。このJ.J.ルソーは、性善説(人は生まれながらに「善」であるという立場)に立っていました。それで、あの有名な「自然(しぜん)に還(かえ)れ」(社会の因襲による悪影響から脱し、人間本来の自然の状態に還れという、(思想史的に考えれば、当時猛威を振るっていた「王権神授説」に対抗するために、極めて慎重な議論を歩み進めた『人間不平等起源論』『社会契約論』)という有名な言葉を残した人です。この「自然」とは、けっして「大自然」とか「田園や田舎」とか懐かしい「良き昔」等を意味しているわけではありません。「自然」とは、「子どもは生まれつき「善」である(性善説)のだから、生きていく内に社会の「悪」に染まったおとなが、子どもに「悪」を教え込んで「悪」に導くことなかれ」という意味を持っています。さらに言えば、「おとなの教育(干渉)のないところで子どもを育てましょう」という意味も付加されているのです。その意味合いを学んだ倉橋惣三が「自ら育つ存在」として、子どもを位置づけているのです。また、倉橋惣三の「誘導保育論」は子どもの「さながらの生活」から始まっているわけです。子どもたちの自発的・自主的・主体的活動をとても大切にする理由は、この点にあります。

この倉橋惣三は、1948年(昭和23年)に当時の文部省の依頼で「保育要領」を作成しました。この「保育要領」は、幼稚園の教諭だけでなく、保育所の保母(保育士)や家庭にいる母親に向けた異質なものでした。学校教育法によって位置づけられ,指導を行う者も「教諭」として規定されています。「保育要領」では保育内容は、見学、リズム、休息、自由遊び、音楽、お話、絵画、製作、自然観察、ごっこ遊び、劇遊び、人形芝居、健康保育、年中行事とされ,子どもの興味・自発性が尊重されました。この「年中行事」に引っ張られた形で今現在もさまざまな年中行事が行われていますが、これらについては、現代の幼児教育・保育に携わる私たちとしては、再吟味する必要がありそうです。

その「保育要領」も1956年(昭和31年)、小学校教育との一貫性をもたせるなどの理由から、全面的に改訂され、名称も「幼稚園教育要領」となります。保育内容は健康、社会、自然、言語、音楽リズム、絵画製作の「6領域」に改められました。そこから、さらに5領域に改められたのは、まだ記憶に新しいことです・

したがって、倉橋惣三という方をご存じなくとも、現在「告示」(法律用語で、「これに従って幼児教育・保育をしなければならない」、ということになり、法的規制力(義務)があるわけです)されている「幼稚園教育要領」、「保育所保育指針」、「幼保連携型認定こども園教育保育要領」は、倉橋惣三が作成した「保育要領」が雛形になっていますから、幼稚園や保育所、認定こども園での教育に今現在携わっている方ならば、倉橋惣三に間接的に、あるいは知らず知らずのうちに出会っていることになります。

 

その子らしく

「その子らしく」を理論的にみると、カウンセリングのロジャーズの考え方に行き着きます。それは来談者中心の「ノンディレクティヴ・カウンセリング技法(「来談者中心療法(クライエント中心療法)」)」というものです。クライエント(この場合は、子どもと解釈すると、保育全般のこととして理解できます)中心に悩みや問題をちゃんと聴き=「傾聴」、ときには質問したりして、クライエント(子ども)自身が自分の行動に責任を持ち、自分(子ども自身)がどういう人間なのか、という自己理解を深めるサポートを意味しています。いいかえれば、子どもの一人ひとりの「人間性」の理解の上に立ち、それを子ども自身が理解し、子ども自身が自分を大切にしながらも、他者の存在に目を向けて、それをも大切にしていける状況を作りだせる存在にしていくものというものです。ロジャーズのいう、「受容」・「傾聴」・「共感(的理解)」が基本となります。保育においてもこれら(「受容」・「傾聴」・「共感(的理解)」)が指導の重要な位置をしめることから、「保育カウンセリング」や「カウンセリング・マインド」という言葉が編み出されてきました。これらは、日本で「保育」を焦点に入れて作成された「和製英語」ですので、国際的に通じる「英語」ではありませんから、注意してください。

このように、保育においては保育者を含め、子ども自身が「自分」を認めることから始まって、「他者」を認め、思いやりの気持ちで接することが大切にされます。子ども自身が自分の行動を決定し、思いを成し遂げていけるものとして、多くの学者は「子どもの遊び」の重要性を指摘していますのは、「(子どもの)遊び」が、「遊び」という活動を計画(何して遊ぶか)し、決定(どのように遊ぶか)するときに、「遊び」が「自己決定の原則」という重要な要素を含んでいるからです。よく、「「遊び」は「自発的」なものです」という言外には、このことが含まれているので、「子ども(の成長)にとって、「遊び」は重要です」と言われる所以(ゆえん)があります。

J.J.ルソーやF.フレーベルに学んだ日本の幼児教育の父である倉橋惣三も、例外ではなく、「子どもの遊び」に始まる保育を『誘導保育論』の論拠としています。倉橋のいう「さながらの生活」という「さながら」とは、現に「子どもが始めている生活」と意味しています。ここから倉橋の指導は開始していきます。この点が、倉橋惣三の『誘導保育論』の心髄ということになります。この倉橋惣三が学んだF.フレーベルは、この「(子どもの)遊び」を、「幼年期において人間の発達上、最高の働きを為す者は遊戯である。なぜ遊戯が最高の働きであるかといえば、遊戯においては、児童は内部の必要に応じて、自ら自由に活動して、内部的本質を外部に現すからである。

遊戯は幼児が為す所の最も純粋なる、又、最も模範的なる生活である。独り人間のみならず万物の内にも隠れて居る所の内部的生命の模範である。其れ故、遊戯は之を為す者に喜悦、自由、満足、休息、及び外界との調和を与ふるものである。又、遊戯は凡て善なるものの源泉である。だから身体の疲れるまで、思ひ切って熱心に根気能く遊ぶ子供は、生長の後、屹度、自他の安寧幸福を増進するために能く克己することの出来る、意志の強い人と為ることが出来る。(「フレーベル氏 人之教育」原田助校閲 ハウ女子編 1917年 初版1909年 警鐘社書店)」と述べています。この点についての詳細については、別途説明したいと思います。

以上のように、「その子らしく」というフレーズは、単なるキャッチコピーではなく、保育にとって重要な多重の意味合いが隠されているわけなのです。

大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人である金子みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日)本名:金子 テル(かねこ テル))は、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点ですが、金子みすゞがいうように、「みんなちがってみんないい」のです。そういう意味では、SMAPなどに歌われている「世界に一つだけの花」の歌詞の内容は、園での子どもの指導に生かせるものです。日々の保育でも、この歌を口ずさみながら、大切な子どもたちの保育に当たっていただけると、保育の世界がさまざまな色合い鮮やかに輝くものとなるでしょう。

 

参考までに、「世界で一つだけの花」の歌詞を掲載しておきます。

『世界に一つだけの花』作詞・作曲・編曲/槇原敬之、著作権者(作詞・作曲・編曲以外)/ジャニーズ出版、2002年(平成14年)。JASRAC許諾、第J090816598号。

 

花屋の店先に並んだ  いろんな花を見ていた

ひとそれぞれ好みはあるけど  どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて  争うこともしないで

バケツの中誇らしげに  しゃんと胸を張っている

 

それなのに僕ら人間は  どうしてこうも比べたがる?

一人一人違うのにその中で  一番になりたがる?

 

そうさ 僕らは  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

困ったように笑いながら  ずっと迷ってる人がいる

頑張って咲いた花はどれも  きれいだから仕方ないね

やっと店から出てきた  その人が抱えていた

色とりどりの花束と  うれしそうな横顔

 

名前も知らなかったけれど  あの日僕に笑顔をくれた

誰も気づかないような場所で  咲いてた花のように

 

そうさ 僕らも  世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

 

小さい花や大きな花  一つとして同じものはないから

NO.1にならなくてもいい  もともと特別なOnly one

はじめまして!福井敏雄です。

保育に関する教育に携わっています。

日々の思い、出来事など、このブログに綴っていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。