考える(感じる)ことが多い一週間

21日から昨日まで 山の手南小学校の家庭教育学級でお話しをさせていただいたり 内閣官房2020オリンピック・パラリンピック推進本部の心のバリアフリー分科会に出席し幼児教育・保育の立場から すべての子どもの就園を保障することに対して意見表明する機会がありました。そして そのまま東京から釧路に移動して 金・土曜日は釧路専門学校の集中講義をさせていただきました。

25日のPTAの幹事会は同席できずスミマセンでした。多くの反省があったようですね しっかり受けとめて次にいかして行きたいと考えます。

さて 小学校での家庭教育学級では 幼稚園の園長と3人の娘の父親の 二つの立場でできるだけ飾らずに本音を語らせていただきました。

その中で長女(高校3年生)とのエピソードを紹介しました。娘たちの学校の仕事(保護者としての)を依頼された時 「お受けするかどうか 子どもたちの意見を聴かせて…」とたずねたら「私は先生や友だちに頼まれたことは断らずにやってきて今の自分がある…」ときっぱり答えを返されました。

実は私もそうでした。自分より力量やキャリアを豊富にもたれている方が他に何人もいる中で 幼稚園団体の仕事 文部科学省を中心とした国の委員や有識者としての仕事 養成校の非常勤講師などを 出来うる限りお受けしてきたことが 結果として 美晴幼稚園の園長としての今の自分の一部となっていかされています。(といっても 今年度からは幼稚園と保育園の仕事を大事にするために優先順位をつけさせてもらってお断りすることも少なくありませんが…)

心のバリアフリーの会議では ある委員が海外のプログラムの体験に基づきながら 「時間と空間を多様な人々が共有すること自体に大きな意味があって 支援する(教える)もの 支援をうける(教えられる)もの というステレオタイプの関係性をこえた 互いに寄り添い合い支え合う中でゆるやかにファシリテーション(伴走者として支え導く)してゆくことが これからの社会(教育・保育)のあり方だと思う…」と表明されていました。(現状の日本の公立学校(幼稚園)を中心とした実態や研究者のスタンダードとは異質な概念と実践(時空)で動いているなぁ〜 美晴も同じ方向性で進みたい!)

釧路専門学校の授業を担当することになったのは教務担当の副校長先生が美晴幼稚園(美園にあった創立園)の卒園児であることから 毎週は講義できないので集中講義のかたちで担当させていただくことになりました。(釧路専門学校は専門学校としては道内では唯一の文部科学省が指定する幼稚園教諭養成機関で 授業を担当する教員の資格審査も文科省が直接行うので…)

60歳を迎えられた先生の話しの中で 当時も美晴幼稚園では障がいのある子どもを受け入れていたこと。その子どもが当時の幼稚園の生活の中で負った心の傷は今なお癒えずにいること…。を知りました。

当時の時代背景も影響していたとの事でしたが 我々の至らなさは 今の美晴にも通じます。今日 不在中の会議録や保育記録を読んでいたら 外部の支援員の方からいただいたお話しの報告の中に 保育者として絶対に使ってはいけない表現での記述がありました。

実際には書かれていた文言とは違うニュアンスで 外部の先生も美晴の保育者もやりとりしていたと思いますが 残された記述を第三者が読めばいろいろな意味で誤解を与えかねない表現です。(ショックでした…)

美晴は私学なので 幼稚園の園長であり学園の理事長である私は 私が担当する前の時代のことからこれか先のことまで 生涯にわたってその責任を負う事になります。

外部での仕事は 幼稚園の園長としての自分を そして美晴幼稚園全体を 周囲の流行や風潮などに惑わされず(揺らぎながらも軸はブラさないよに) 客観的にふり返り今とこれからの課題を自覚する大切な機会となっています。【園長 東 重満】