松前紀男先生の訃報

1月6日の新聞各紙に 東海大学の学長や札幌コンサートホール・キタラの初代館長をお勤めになられた 松前紀男先生が死去されたことが報じられていました。

松前先生が学長をお勤めになられていた当時 私は北海道東海大学(当時)の芸術工学部建築学科の学生で硬式野球に打ち込んでいました。そのころ東海大学全体では 日本大学 慶應義塾大学に次いで私学としては日本で3番目のマンモス大学でしたが 旭川市にあったキャンパスは単科大学で学生も1,000人に満たないこともあり 教職員が学生の顔と名前が一致する稀有?な大学でした。

そして 松前学長自らが先頭に立たれて 建学の精神の起源にさかのぼり 大学改革を進めていました。

そんなこともあり 私は一学生でありながら松前先生から直接薫陶を受けて4年間を過ごすことができました。その後 松前先生の推薦もあり母校の職員として勤務することになりました。

学生時代から 私の実家が私学の幼稚園を経営していることをご存知でいらして 自らも付属幼稚園の園長を経験されていらした松前先生は ことある毎にリーダーとしてのあり様を教示してくださいました。

私が若いながら入学試験の東京会場の責任者として仕事を終えた時 最寄駅の近くの鰻屋でねぎらいと共に 語りかけられました。「東君 私はこれまで身近で優秀な人間が仕事からはなれなければならないということを幾度も見てきた。それは 異性 酒 個人的な金銭の貸し借り この3つのいずれかのトラブルが必ず絡んでいた… 十分注意する様にね。」

学長直々の計らいではないと思いますが 私が東海大学に勤務していた5年と1カ月の間に 野球部のコーチの仕事の他に 学務部の教務担当の枠を超えた重要な仕事をさせていただきました。

教務の基本である 時間割の作成 履修や成績認定 講師の委嘱 教員の業績管理などの他に 学生募集から入学試験の運営・判定業務 新設学部の設置申請と監査 会計検査院検査 経営戦略のリサーチと資料づくり などなど。そして 学生係と事務所が同じだったので 学生の深刻でデリケートな問題への対応…。

今の仕事の基礎になることを全てといって良いほど学びました。

こんなこともありました 「東君はラブレターを書いたことがないだろう? 君の文章には気持ちがこもっていない…」と様々な手紙や事務文章の書き方を 一から教えられました。

組織の大きさも質も全く違いますが トップリーダーの目標を自分の中に持てていることの幸せは 松前先生と共にさせていただいた時間が与えてくださった財産です。

天に召された松前紀男先生への敬慕の念を表して追悼といたします。

園長 東 重満