愛犬の死

11月の大雪が降った後 我が家のトイプードルがちょっとしたスキに逃げ出して(初めてのことですが)100メートルほど離れた保育園の玄関先にいるところを 学校に行く途中の長女が偶然見つけて連れ戻すという出来事がありました。

この犬は長女のたっての希望をかなえるために飼い始めた犬です。彼女はアレルギーがあって室内犬のいる家に行くだけで顔が腫れてしまっていたのですが 動物が大好きでどうしても自分の家でも犬を飼いたいといってききませんでした。当時 実家で柴犬を飼っていてなぜか実家やその犬には反応しなかったので 比較的に脱毛が少ない犬種を飼ってみることにしました。

実はこの犬を飼う理由がもう一つあって 実家で飼っていた柴犬が老衰で死んでしまい その柴犬と毎日散歩に出かけることが日課だった母の悲しみを癒す意味もあったのです。80歳を過ぎた母とタローが1日に数回ゆっくりとゆっくりと歩調をあわせて散歩する姿は ご近所の評判になるほどでした…。

実はこのタロー 二度と犬は飼わないと決めた両親の反対を無視して私がペットショップからもとめてきた犬でした。(つまり本当の飼い主はドンリュウ)しかし いざタローが家にきてみると私より父と母が可愛がり 間もなく実質的な飼い主は父と母になっていました。

先に父が他界した後も タローは柴犬の孤高さは残しながらも 絶えず母のそばに寄り添って生きていました。

そのタローが年老いて死んだ日 私は出張で札幌におらず 姉からの留守番電話への伝言で愛犬の死を知りました。そして 小学生から大学生になるまで飼っていたカメが死んだ時も実家をはなれて生活していたのでみとることができませんでした。いずれも いい大人になってはいましたが 私には本当に悲しくつらい思い出です。

最近 幼稚園でこんな出来事がありました。

自宅でちいさい頃から飼っていた愛犬が死んでしまい その悲しみをかかえたままで登園してきた年長の男の子がいました。あらかじめお母さんはそのことを保育者に伝えてくださっていたこともあったようですが だれの目にもいつもの◯◯◯くんではなかったようです。

見兼ねた安保先生が 「なきたいときにはないていいんだよ…」と語りかけたら 堰を切ったように いままでみたことがないほど大声をあげて泣きじゃくったそうです。そして しばらく経つと いつもの様子に戻って過ごしたようです。

その後も いつもながらのやんちゃさと 小さな子どもへのさりげない優さをみせる◯◯◯くんの様子が 保育記録で報告されています。

人間は幼児期(4、5歳)から死生観が芽生えます。自分はどんな存在で いずれどうなるのか…。生きるということ 死ぬということはどうゆうことか…。

小さな子どもがそんなことを… なんて絶対大人は考えてはいけません。子どもの不安や疑問をきちんとうけとめ 真面目に向き合うことが大切です。

子どもは幼いながらも 身近な動物や人の死を通して 何かを感じとり 自らの死生観をかたちづくっています。

そうやって 子どもは人間として育ってゆくのですね。

 

保育のキセキ

玄関には毎日その日の一枚というポートフォリオがあり玄関ホールにはみはるカレンダーで写真暦をみることができます。

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保育者はその他にクラス毎に写真付きの保育記録をとり グループ活動があったりワクワクひろばのようなチームでの保育があった場合はグループやチーム毎の保育記録をファイルします。

そこには いま ここ の子どもの成長の日々が事実として記録されています。(この日のポートフォリオの担当は新任の田辺先生ですが 子どもの1日をしっかりピックアップして保育者の思いと願いがつづられています。)そして 時には保育者と子どもの課題もつづられます。

他の若い保育者も同様に子どもの事実に向き合い みんなで手をたずさえてこころを一つにして前に向かって保育を進めています。