年中児、お芋堀りへ!

今日は待ちに待ったお芋掘りでした!

残念ながら予定していた昨日はあいにくのお天気となりましたが、子どもたちの願いが通じたのか、日中はお芋堀り日和となりました♪

朝から登園してくるなり、「お芋堀り行けるな!」「晴れてよかった~!めっちゃ楽しみ!!」とニコニコ笑顔でした。

行きのバスの中でも「大きいの掘るぞ!」「いっぱい掘るし、見といてな!」とやる気満々な子どもたち。

CIMG1721

 

 

 

 

いざ到着し、土を掘っていくと頭の先を“ピョコッ”と見せたお芋に大興奮!

両手を使って必死に掘り進め、「先生、見てー!!」「大きいの取れたよ!」とたくさんの嬉しそうな顔を見ることができました。

IMG_1180 IMG_1193 IMG_2522 IMG_2526CIMG1729

 

 

 

 

 

 

帰りのバスの中では「何を作ってもらおうかな?」と早くもみんなで相談していましたよ。

今日はお家でどんな美味しそうなお芋の料理が並んでいるのかな?

また明日子どもたちの話が聞けるのを楽しみにしています♪

最後になりましたが、お世話になったあらす観光いも堀り農園の方、運転士さん、フリーの先生、ありがとうございました。

 

がちゃぴん

☆ ストップ遊びに思う

幼児教育の世界にはストップ遊びという保育者と子どもたちが対面して楽しむ遊びがあります。同種の物なら発言した保育者に続いて子どもたちは手をたたき、異種の物が出て来たら、腕を交差して手をたたかないという一種の手遊びです。間違いを喜ぶというところにある種の違和感を感じることもありますが、あまり深く考えず、子どもたちが喜ぶという理由で、長年多くの幼稚園・保育園で続いている子どもたちの耳に働きかけている遊びです。

ある時、この遊びを耳ではなく子どもたちの目に訴えるべく、言葉を映像に置き換えたらどうかということを思いつきました。50数年前には、技術的にまったく考えられなかったことです。それは、スライドなどは、素早く順番を入れ替えることはできなかったからでした。ところが、今なら、映像の順番の入れ替えなど簡単です。パソコンに動物なら、ぞう・キリン・ライオンなどと続けたあと、バナナ(or自動車or野菜など)と異種の映像を即座に引き出すことが可能な時代です。この事実に、保守的な方が多い幼児教育界の方々はなかなか気がつかないのでしょう。

 

そこで、ある日、“このような教材を自分たちで作ってみようか”と持ちかけたのでした。そうして、この間、私は、いろいろな絵本の中から、写実的な動物や果物の姿を探したのでした。

 

その数日後、ある先生と話していたところ、耳寄りな話を耳にしました。藤岡先生が“英語の教材を使ったらどうか”ということを言ってるということでした。広野幼稚園の英語の教材は、リモコンを使ってネイチャーの発音を子どもたちの耳に届けようとしています。これを流用すれば、しごく簡単に子どもたちの目に飛び込ませることができます。そうすれば頭の一部の回転を速くするばかりでなく、保育に広がりを与え、子どもたちの興味や関心をより深めることができるのではないかと思っているところです。

 

既製の教材を新たな方法で活用する道を開いてくれた、先生に大拍手です.

自称 保育バカ

いちご組保育参観

今日は満三歳児の保育参観日でした。

今回は、運動会で行う親子ダンスを行いました。

事前に動画を見てくださっていたお母様方が多く、曲に合わせて

テンポ良くと踊っておられたので、びっくりしました。

CIMG2111CIMG2112

お子様と一緒に踊ってくださっていたのかな。

ありがとうございます!

本番も楽しんで行えると良いですね♪

その後は、かわいい衣装作りです。

ハサミを使用したりひも通しをしたりして素敵な衣装ができましたね。

CIMG2117CIMG2118

CIMG2119CIMG2120

お忙しい中、参観に来ていただきありがとうございました。

運動会もいっぱーい いっぱーい 楽しみましょうね。

ストロベリー

 

 

追悼       広野幼稚園の創設期の13年間、この園を支えた中島秀海(旧姓、吉村金子先生)氏が、お彼岸の中日に亡くなられました。深くお悔やみ申し上げます。

 

☆ 西国33カ所の17番の札所、革堂の中島秀海氏死亡

 

広野保育所・幼稚園の創設期の13年間、この園を支えた中島秀海(旧姓、吉村金子先生)氏が、93歳の天寿を全うされ、お彼岸の中日に亡くなられました。在籍する方々の年齢に重ねれば、おじいちゃん・おばあちゃんの時代の先生です。当時の子どもたちも、70数歳から60数歳になられます。

一生の前半を、太平洋戦争後の大久保地域の子どもたちのため、後半は、元園長、禎三氏の菩提を弔うとともに、西国33カ所の17番の札所、寺町丸太町の革堂において、坊守的役割を果たされ、多くの方々を観音菩薩への心の橋渡しをなさいました。約1年間前に倒れられ、その後はベッド生活でした。

 

在職中はいろいろな方々にお世話になりました。この広野幼稚園・保育所を後継している一人として、紙面をお借りして厚くお礼申し上げます。

 

安らかにお眠りください。 合掌                            園長