紅葉や清流を満喫、賀茂の別雷神社で

客人を送って堀川通りを北上しました。今出川通りを過ぎると、今の時期、信じられないほどきれいに黄葉したイチョウの街路樹に感動しながら、何とはなしに、今年の10月、第42回の式年遷宮を行ったばかりの上賀茂神社を目指したのでした。

上賀茂神社と言えば、鳥居をくぐってすぐに広がる左右の広場、その真ん中を通る白砂のアプローチ、外来語で表すことはあまり芳しいとは言えませんが、神々(かみがみ)の通られる道は、清々しいどころか神々(こうごう)しい気持ちに高めてくれる効果を持っているようです。

式年遷宮を終えたばかりの上賀茂神社の檜皮葺きの屋根は末社に至るまでそれぞれが素晴らしかったです。また、参拝後、片岡橋を渡り、“ならの小川”に向かう道から眺め、折からの沈み行く夕日に照らされている紅葉は、幻想的でさえありました。

上賀茂神社と言えば、すぐに私の目に浮かぶのは、“ならの小川”、この清流にはいつも心が洗われる思いです。ところが、周囲の空気が冷えてきたこの日は何かすっきりしないものがあるのです。

それは、なかなか百人一首の“ならの小川”の上の句が出てこないのです。少しいらいらし始めたころ、ようやく、ならの小川に続く、“みそぎそ夏のしるしなりける”の下の句から、“風そよぐ”の上の句を思い出し、ようやく落ち着きを得たのでした。

年とともに、こういうことが多くなるかなと思いながら、門前の“葵屋やきもち”で“やきもち”を2個だけ買って夕闇迫る上賀茂神社を後にしたのでした。

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園長